南京

国家間に友好はありえるのだろうか。
国家が国家であるためには、自国の国益が優先されるのは間違いないし、それを批判することもできない。だってその国に人が住んでいるんだから。その人たちの益になるようにしなくちゃいけない。当たり前のこと。

では、自国だけの国益を追求するとどうなるか。
隣の国とぶつかる。
隣の国も国益を追求してるからだ。
隣の国とぶつかると、肝心の国益が損なわれる。諍いが絶えず、戦争になれば、生命と財産が失われてしまう。

だから、自国の国益のために、他国と友好を結ぼうとする。
順番はあくまでも自国の国益が優先であって、他国のために結ぶのではない。

ようするに、国益のために友好な付き合いをするのであって、友好のために国益を損ねてしまっては意味がない。

特に、国家間は隣の国と友好的に付き合うのは難しい。
今回の尖閣危機のように領土問題がつきまとうからだ。
だから、すぐれた外交は、遠い国と友好を保つ。

今の日本を見てみると、いつの間にか「友好」という言葉が一人歩きしてしまっているようだ。
友好という言葉に呪縛され、友好という言葉に惑わされ、国益をそこなっていても気がつかない。

日中友好を叫んだ向井・野田少尉

話がそれてしまったが、日本で一番最初に「日中友好」と言ったのは誰か。実は、南京事件で百人斬りを競ったとされる、向井敏明少尉、野田毅少尉などの戦犯として処刑された人たちだった。

南京事件の際に、向井、野田少尉が、100人シナ人を斬ろうと競って斬殺したとする「百人斬り(真偽が今も遺族によって係争中)」。両将校は、南京戦犯裁判軍事法廷にて、死刑判決を受け銃殺される。

刑執行の瞬間、二人はこう叫んだという。

「天皇陛下万歳! 中華民国万歳! 日中友好万歳!」

二人は、辞世に無実を主張しながらも、自らを東洋の平和への人柱として散った。
筆者は百人斬りはでっちあげだという認識なので、このお二人を例に出した。両少尉は、自ら罪を背負うことで、後世に禍根を残さぬようにしたのだと思う。
野田少尉は死の直前に「何卒、我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。」とも遺している。

血の楔をうってしても、友好とは、こんなにもろく崩れるのだろうか。


向井敏明 辞世

辞世  我は天地神明に誓ひ捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思ひ日本男子として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八州に帰ります。  我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸です。 中国の御奮闘を祈る 日本の敢闘を祈る
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります
十二月三十一日 十時記す
向井敏明

野田毅 遺文

一 日本国民に告ぐ
私は嘗て新聞紙上に向井敏明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以って世の中をお髄がし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。『馬鹿野郎』と罵倒嘲笑されても甘受致します。
只、今般中国の裁判に於いて俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定されましたことに就いては私は断乎無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京において百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以って今後中日間に怨みやアダや仇を絶対に止めて頂きたいのです。
東洋の隣国がお互いに血を以って血を洗うが様なばかげたことのいけないことは常識を以ってしても解ります。
今後は恩讐を越えて誠心を以って中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいのです。
中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以ってするなら中国人にも解らない筈はありません。
至誠神に通ずると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
西郷さんは『敬天愛人』と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中国提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得た事を以って日本国民之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以って神が教示されたのです。
日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は『愛』と『至誠』です。
此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈りいたしまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

野田毅 死刑執行を前に

俘虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。
死を賜りました事については天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以って残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願い致します。宣伝や政策的意味を以って死刑を判決したり、面目を以って感情的に判決したり、或いは抗戦八年の恨み晴らさんが為、一方的裁判をしたりなされない様祈願致します。
我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、引いては世界平和が到来することを喜ぶものであります。
何卒、我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。
中国万歳、
日本万歳、
天皇陛下万歳。

今の一言:本当の友好とは、恩讐を超えた「愛」と「至誠」が根本。これが戦犯と呼ばれる人たちの言葉であることを、もう一度考える必要があると思う。