単司教はさらにズバリと中共の宗教迫害の本質を指摘した。「中共の宗教局は実は、宗教を消滅するためのものだが、宗教を消滅できないとわかると、今度は宗教を利用しようとするのだ」

 まったくおっしゃる通りだ。無神論の中共下にある宗教局は、宗教を消滅しつつ利用すること以外に、何の役割を果たすというのだろうか。

宗教を消滅するための中国宗教局 – (大紀元)

中国共産党下には「宗教局」というものがある。
引用元を読んでもらえればわかるが、中国国内では法輪法をはじめとして信仰者は大弾圧を受ける。無神論の国家だからだ。

何も信じない国家ならば、別に神様を信じている人にいちゃもんをつけることもないと思うのだが、無神論国家は無神論国家で信じているものがある。それは無神論教だ。ちゃんと国教があるのだ。

この無神論教はたちが悪い。ようするに中国共産党教であって、世界でも稀にみる独善的な宗教なのだから。信じていないものは徹底的に国家が迫害する。中世でも見られないような徹底ぶりだ。

チベット仏教への弾圧も言語に絶するものがある。
最近みたブログでは小島一郎氏の記事がチベット仏教への迫害について詳しく述べられていた。

ここで、かつて中国に占領され、自治区となった「チベット」はどうなったでしょうか。「核心的利益」の地域として一切の妥協を許さない姿勢とは何でしょうか。チベットでは100万人以上の方が虐殺されていっており、その事実はほとんど報道されていませんが、紹介します。何も報道されないままに行われたこと…。
『中国はいかにチベットを侵略したか』(マイケル・ダナム著、講談社インターナショナル)より、一部抜粋して紹介します。日本に対して中国共産党は、チベット以上の歴史的憎しみを持っていることを念頭に、お読みいただきたいと思います。
どこの村でも中国共産党(中共)の虐殺は経験しており、抵抗ののろしを最初に上げたのは自分たちの村だったというのだろう。
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々に殴打されて穴に放り込まれ、村人はその上に小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、揚句に全員射殺された。
怯える子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
1956年終り頃までに、ある地域ではほとんどの男は断種され、女性は中共兵に犯され妊娠させられていった。
ある村では25人の富裕な村人が人びとの前で生きながら焼き殺された。また別の村では24人の親が、子供を中共の公立学校へ行かせるのを拒んだ罪で目に釘を打ち込まれ、虐殺された。
恐怖政治は止むことなくつづき、漢中共はまったく新しい残虐社会をチベットじゅうに浸み渡らせていった。この残虐行為を止める者はおらず、もし地獄がこの世に存在するとしたら、それは正に1956年の東チベットそのものであった。
これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。

中国は東シナ海を「核心的利益」に!日本は本当に危ない!

このような迫害が中国における「宗教局」の仕事のようだ。人のすることではない。宗教というものは人の道を教え学ぶものであり、それを抜いたら人は獣になってしまう。
こんな思想を輸出されてもらっては困る。迷惑だ。

中国は戦前、戦中の日本をよく批判するが、引用のチベット仏教への弾圧が真実ならば、中国がよく批判する日本の国家神道よりも残虐である。

中国が本当に「調和的社会」(胡錦濤が提唱する理論)を構築したいならば、調和を重んじる宗教を迫害してはならないのではないだろうか。