浜岡原発

ちょうど二年前、日本は「政権交代」というフレーズに湧いた。
それまで政権与党だった自民党への失望から、何か新しいものを皆が求めたからだ。
その「なにか新しいもの」のちょうどいい場所に民主党がいた。
民主党は「政権交代」というたった四文字のフレーズで日本中をペテンにかけた。
みんなが民主党のマニフェストが、本気でよいものだとは思っていたわけではない。良識ある有権者にとっては、それが単なるバラマキ政策で、バラマクためには多額の税金が必要となることはわかってる。すなわち、大きな政府の大増税時代が来ることは目に見えていた。

だが、一般の有権者にとってはそんなことはどうでもいいことだった。
「政権交代──。」
この、新しい響きと、民主党の掲げる社会福祉の政策で、日本はよくなるように見えた。
他の細かいところは、特に興味はない。
少なくとも、疲弊し、腐敗した自民党、漢字の読めない首相よりはマシだと、誰もが思った。
煽ったのは誰か──。
マスコミである。

結果を考えず雰囲気に巻き込まれる日本の空気

日本人は空気に支配されるという。
政権交代の時もそう。なんとなく民主党ならマシだという空気で、民主党政権が誕生した。
だが、その結果、八ッ場ダム中止をはじめ、普天間基地移設の迷走、尖閣事件における船長釈放など、政府の無責任な対応で、多額の損失や日米同盟、国防の危機など、まさしく国難の嵐である。
ほぼ完成していた八ッ場ダムを、7割完成の段階で中止したらどうなるか。普天間基地移設問題を自治体に丸投げして、政府が責任を放棄したらどうなるか。尖閣事件で一旦拘束した船長を釈放したらどうなるか。結果において深く検討することはされていなかった。
それらの結果は、なるようになっている。八ッ場ダムは元のとおり。普天間基地はいまだに迷走。尖閣事件後、中国はさらに領土拡張への野心をむき出しにしてきている。
自民党政権からの政権交代も、結果について深く考えた形跡はない。
麻生元首相に関しても、漢字の読み間違えばかり強調され、その政治力は検証されていなかった。その功績を、民主党政権誕生後の二人の総理と比べてみるといい。もう、「政権を担ったばかりなので」という言い訳は通用しない。
だが、政権をとる前から、こうなることはわかっていた。明らかに実現不可能なマニフェストと、極左的な思考を持った国家社会主義政党だからだ。

福島は原発事故ではないのに脱原発

貧困の問題を解決するには、富者から奪い貧者にバラマクことではない。
富者をさらに富ませ、雇用を創出すること。経済を循環させ、豊かな社会を創ること。
これを国家社会主義者は、富者が貧者から搾取していると、悪者を作り出す。
普天間基地問題もそうだ。米軍基地をスケープゴートにし、そこに基地がある理由を深く国民に問いかけない。本来、日本を守っていたものを、騒音、米兵による犯罪を誇張し伝える。どうしてそこにそれが必要かを正確に伝えない。
福島は原発事故ではない。地震による津波災害だ。
それがいつの間にか原発事故になった。東電は弾糾され、政府はそれに対応しているフリをしていれば復興の遅れを非難されることはない。自らの無能を何かのせいにしていれば首相の座は安泰だ。
その結果どうなったか。いたずらに放射線の影響を煽られて脱原発の大合唱である。
福島での事故による放射能は本当に危険なのか。その影響を正確に考えることなく、原発を止めた後どうなるかを、考える余地は与えてくれない。
いたずらに不安を煽ることで、日本はどうなったか。極端にリスクを恐れる国となった。
東北の復興はそっちのけで、いつの将来の話かわからない再生エネルギーの話に悦に入る菅首相の罪は重い。この男が浜岡を止めた。
もし、今回の東日本大震災のような大規模災害が起こり、自分の地域の原発が福島と同じことになったら? その恐怖が、全国の原発を持つ自治体を襲う。リスクを恐れた首長たちは、原発を稼働させることができない。もしも、の時に責められるのは彼らだからだ。

節電ファシズムで日本はどうなる

原発が止まることで、日本の電力の供給は著しく低下する。
政府や脱原発派は節電を呼びかけるが、どの程度効果があるのかはよく検証されていない。
サマータイム、打ち水など、夏に向けて呼びかけているが、逆に電力需要が増すという報告もある。サマータイムによって、帰宅した人々が16時頃家庭で使用する電力が増すからだ。昼間の打ち水も、大きな蒸発を招く一方、水蒸気が拡散できず、湿度の上昇が気温の下降よりも数値が高くなってしまい、最大電力需要が増大するとのこと。
計画停電で電力を停めても、停電中の熱を冷やすために電力は増大する。
そんなことは政府もマスコミも言わない。これもペテンだ。
そもそも、一般家庭で節電したところで、電力需要には大きな変わりはない。
電力を使用しているのは企業である。ということは「節電とは生産性を落とせ」ということと同意なのである。
日本人は優しい民族だ。政府が節電せよと言えばちゃんとそれに従い、皆で苦労を分かち合おうとする。だがその結果、電力コストは上がり、逆に電気代が跳ね上がるという結果になる。
多くの企業が、これではもたないと海外脱出を検討しているという。するとどうなる? ただでさえ増やさねばならないと言われている雇用まで失われる。電気代が家計を圧迫し、さらに働く場を失い、当然収入も激減する。
そのために政府は、国民にいくらか保障すると言い出すだろう。だがそんなお金はどこからか湧いてくるものではない。それらバラマキの原資は国民の税金だ。「こんなに皆さんがご苦労されているのに電気をたくさん使っているお金持ちはけしからん。もっと税金を取りましょう」と、お金持ちはお気をつけください。増税して配給するということで、日本は晴れて社会主義国家となる。
これが菅首相の求めた「最小不幸社会」。貧しさの平等を分かち合う、国家社会主義だ。

民主党政権の政策は国民の夢と希望と自由を奪う

生活コストも上がり、職もなければ、生きる希望も失うだろう。そうなると人々は国に頼る。税金は高くても、社会保障が充実していればいいと、貰う国民が増える。
それは人間にとって大切な自由を捨てるということだ。
経済的余裕を失うと自由の幅は制限される。「原発は危険」と脱原発を煽れば、それに意を唱える言論の自由もない。民主党の政策は、世論を一極に誘導して、国民に考える余地を与えない。うまいこと暑い夏にクーラーもつけさせてくれないのだから、暑くて余計なことは考えたくないだろう。統制された国家の出来上がりだ。

民主党政権をつくったのも、日本の電力危機を推し進めるのもマスコミ

考えたくない国民が手っ取り早く情報を得るのはマスコミだ。
連日、東日本の復興を忘れたかのように原発危機を煽る報道。
戦後、マスコミの犯した罪は語り尽くせないが、民主党政権誕生以降を見ても目に余る。
あれだけ普天間基地の危険性を煽っておきながら、結局行き着く先がなく、もとに戻っている。なぜ、そこにそれが必要なのかは彼らは語ろうとはしない。危険な部分のみをデフォルメして垂れ流す。それらは必要だからそこにあるのであり、その理由は説明されることはない。
今回の福島についても、実際、放射能の被害よりも交通事故の方が亡くなる人は多いだろう。だが、車を無くせとは言わない。また、放射能が危険だということは連日報道しておきながら、その風評で原発が止まったあとの危険性は語らない。日本の電力不足のリスクを、同じくらい語らなければ、国民は判断ができない。なぜ、そこに原発があるのかを、きちんと報道しなければ、結局普天間基地と同じことだ。必要なものを悪者扱いにして、いたずらに国益を失わせているだけ。この責任をマスコミはどう取るのだろう。

民主党政権を誕生させた力と脱原発の合唱は同じいい人たち

おそらく(筆者の想像にすぎないが)、今、脱原発を唱えている、もしくは親和性を持って原発はよくないと思っている人々は、09年の総選挙で民主党に投票した層と同じではないかと感じる。
よく言えば、素直な人々なのだと思うが、悪く言えば、マスコミの報道に飲み込まれている。では、マスコミの餌食となる人々はどういう人々か。それは、「いい人たち」なのである。
マスコミの手法はいつもこうだ。

──人々の善意を利用する。

「自民党は駄目だ、年金は破綻した、このままでは子どもたちにツケが残る」
「子どもたちを戦場におくるな。日本はもう戦争はしない。軍隊を持ってはいけない。持つくらいなら降伏すればいい」
「原発は危険。子どもが鼻血を出した。これは放射能に違いない。電気はいらないから原発を止めて!」
など、それらは善意から発した言葉だろう。年金が破綻したのは当然問題だ。だが、それらを煽り、結果民主党政権が誕生して、国政を壟断してもマスコミは責任は取らない。人々の善意につけこみ、ミスリードをし続けている。
善意の集合体は、舗装されているかのように見えて地獄への道だ。
甘いお菓子ばかり食べていたら虫歯になるように、人々の善意が集まると、そこに落とし穴がある。
安く売りたいという、善意あふれる商人たちが集まればデフレとなって不景気になる。
結果に責任を持てない善意は、舗装されているようで、その実、崖の上の細い道なのである。
その先に大道はない。

未来に責任を持つ日本を

よく言われることで、百獣の王ライオンは、大切な子どもを崖の下に落とし鍛える。
塾の講師も、優しいだけで叱らない講師は、生徒の成績に責任はとれないだろう。生徒の成績に責任を持つならば、自ずと指導も厳しくなる。それが生徒に対する講師の愛だ。
生きるために、それがなぜ必要かを教え導くこと。そのためには自らにも厳しくある必要がある。
甘いことばかりいう先生の元では、みんな落第する。耳障りのいい言葉ばかり並べたてる政権についていくと、国民みんなが落第するということだ。
リスクを回避し続けたとき、生きる屍となり、チャレンジと夢はそこにない。
落第ならまだいいが、国家の体をなしている間に、力強く夢のある日本に戻っていくことが必要だと思う。なぜここに日本があり、どうしていくべきなのか。
耳障りのよい脱原発という言葉に対して、一度立ち止まって、本当にそれが正しいのか、ではどうすればよいのか、皆で勇気を持って考える必要があるのではないだろうか。