共産

このたびの総選挙で、共産党はこれまでの300小選挙区大半に立候補者を出していた方針を転換し、擁立は152人に絞りこんでいた。その残りの148選挙区の共産党票がどうなるのかが投票前から話題になっていた。

志位委員長は、自ら「自民、公明両党の連立政権に退場の審判を下す機会」とこのたびの総選挙を位置づけ、政権交代をアシストした。当然、候補者のいない選挙区での共産党支持者の大半は民主党に投票したことが予測される。

選挙後、得票数を分析したものがあったので、一例として引用させていただくと、

自民中川元幹事長の広島4区

2009年

102435 空本 誠喜 民主 新

97296 中川秀直 自民 前

4003 沖ゆり 幸福 新

 

 前回の郵政選挙では、共産党候補が1万余り得票。

 

2005年

110046 中川 秀直 自民 前 

67921 空本 誠喜 民主 新 

10270 中石 仁 共産 新 

 

今回の総選挙では、ひろしま4区では自民・中川氏、民主・空本氏の得票の差はわずか5000票。もしも、共産党候補者が立候補していたら、中川氏が勝利していた可能性があると引用元では指摘している。

これはどういうことだろうか。

民主主義とは、要するに多数決の社会である。民意で行く末が決まる社会であるはずなのだが、今回のようにギリギリのラインのせめぎ合いになると、少数の勢力が大きくキャスティングボードを握るようになる。

民意は反映されない。

新政権の3党合意もそうだ。民主は308議席、社民7、国民新3。少数意見に大きく振り回されている。外交・安全保障問題。互いに譲歩しなければまとまらない。

国益は最重要ではなくなる。

結局のところ、私たちが民主主義と呼んでいるものは、すでに民意は反映されず、国益も損なっているものになっているのではないだろうか。

最大多数の最大幸福とよく言うが、ミルがその幸福の質を吟味したとしても、世界を低く均質化しようとする勢力が舵の一端を握っているならば、多数決は最大幸福にはならない。やはり個人の自由と、社会の平等を架橋するものがなければならないが、それは鳩山論文にある友愛ではない。鳩山氏の友愛はミルが警告した政府干渉の増大であり、自由と平等を架橋するものは、やはり個人に帰結すべきである。

個人の内部に自由と平等を架橋させるための機能が宗教だ。各人の心の中で権利と義務とを両立させること。ルターが説いた「何人にも従属せず。何人にも従属する」。自由と奉仕の心である。

これは宗教が説くことであって、政府が介入するものではない。信仰と奉仕の世界なのである。

結局、宗教という機能を欠いた民主主義は成り立たない。最大多数の欲望に振り回され、最大幸福が成り立たなくなる。いや、多数ですらない。手段と目的が置き換えられ、手順を踏むために少数派の意見に多数派が従うという状況にある。数合わせの弊害である。そしてその弊害は、政府が干渉する幅を広げた時にもっと不幸な状況を生む。

弊害が出ているならば、直した方がいい。もっとシンプルに、技術論ではなく最大多数の幸福が実現する世の中とはどういうものなのかを考えていく必要があるのではないだろうか。

参考 民主大勝の陰に共産党「協力」の大きな影響