日本人は宗教嫌いである。それは特定の組織に属した結果、そのドグマに支配されて自由が束縛されるのが嫌なんだろう。まあそれはそうだ。誰だって自由がいいに決まっている。でも、本当にそれで自由なんだろうか。

僧侶はなぜ戒律を自らに課すのか。それは欲望からの自由のためだ。暴流のような欲の濁流に流されることなく、ひとつひとつ個別に自由になるためである。なすがままに身を任せるのが自由ではない。怠惰からの脱却にこそ自由があるはずだ。

人間を形作るものは、各人がおかれた生活環境である。家庭、教育、仕事場、そしてマスメディア。その中から得られる情報にどうしたって左右される。そこから得られた情報で、「その人」は出来上がっていく。怠惰に流される情報は世に溢れている。

だから、そんな簡単に人は自由な発想はできない。普通私たちはどうしたって前例の焼き直ししかできないものだ。このブログは、主に政治的な内容が中心だが、政治だってそうだ。政権交代といったって、何も変わってない。従来の手法の担い手が代わっただけで、さらに前よりひどくなった。

自由で民主主義なんだと言われ、それを信じてはいるが、世界は自由と自由の相克の中にある。個の自由を確保するためには、他の自由と折り合わなくてはならない。そのためにルールが必要なんだけど、ルールを作る上で正しい情報がいる。その正しい情報は常に白紙の目で世界を見る上で、その都度正しくなければならない。その目となるのは、欲望から自由になった宗教ではないのか。それをはぶいた情報の上にルールを作っても、自分たちの欲に振り回されて結局は自らに跳ね返ってくる。

ルターは「我はすべての者の主であり、すべての者の従である」と言った。

人は、どのような環境下にあっても、すべてのものの主人公であり、そしてすべてのものへ奉仕したい存在だ。この原理は神、仏という存在なくしては成り立たない。形而上に、精神的上位に善なる存在がなければ、その行為はただの高慢であって、自己満足にしかすぎない。

どこに向かっているのか? という問いがなければ、堕落の自由である。

ルターは宗教家であるがゆえに神に向かっていたのは当然だ。心は神の如く自由で、しかもすべての者へ施す。すべては神と同質に愛しあう存在だと、当時の教会のドグマを一旦はずして白紙の目で見ていた。

今の日本の世情を見ると、当時の免罪符当たり前の教会のように、人間の本質を人間心のルールに押し込めているように見える。自由に伸びて行く者には足かせをはめ、遅れた者には政治的な救済の名目で補助をし、ただの従の存在に甘んじさせる。これが自由だろうか?

政治家がこれをやろうとするとどうしても間違える。彼らのやってる弱者救済は、単なる票集めでしかないからだ。結果、主従を確定させて従を量産させる。大衆は主となる煩わしさから逃れ、それが善とされる。具体的に言えば、量産される従をまかなうためには財政赤字になるのは当たり前だということだ。

いま世論はそちらに向かっている。民主党が生活者重視という名目で弱者救済に躍起になっているが、大衆は「これはちがう」とうっすら気がついた。そして「みんなの党」への指示が上がっている。だが残念なことに、このような従が量産された世論の中で支持を急速に集める政党はもっと従を加速させるものである可能性が高い。

「みんなの党」の政策を見て欲しい。もっともらしい政策の中に、徹底的な所得配分制度が盛り込まれている。

 

■「百年安心」のセーフティネットを構築し、生活崩壊をくい止める

http://www.your-party.jp/policy/manifest.html#manifest02

-略-

4.社会的弱者に配慮した所得再分配を強化する

1.低所得者層への「給付つき税額控除方式」の導入、「生活保護の母子加算」の復活、「障害者の一割負担」の廃止等「社会的弱者」への施策を強化。

2.その財源として、人定控除の見直しや高額所得者への課税強化(所得税、相続税等)を検討。

3.生活保護制度の不備・不公平、年金制度との不整合等の問題を段階的に解消し、最終的には、基礎年金や生活保護を統合した「ミニマムインカム」を導入。

 

「高額所得者への課税強化」、そして「ミニマムインカム」の導入。富者から税金を絞りとり、配給をするということ。

これは決して自由な世界ではない。欲がベースで富者の自由が貧者の自由を抑圧しているという被害妄想からきている。言いがかりだ。

※しかもみんなの党代表の渡辺喜美氏は相続税3億5000万円を不払い、そして時効との噂も。

前述のルター的立場から言えば、富者は限りなく伸びてゆき、またその周りに施す存在である。貧者もたとえ経済的には貧しくとも、施しを受けたとしても従になる必要はない。その心の主人であり、また別のもの、智慧や勇気、美など富者に富以外を施す力がある。これは各々の神性にしたがって自発的にするべきで、けっして政治的になされるべきものではない。政治的にするのは強制だ。しかも一律となりムリがあるのだ。

自由を最大限に活かして社会全体の富を増やせば、貧者の富も底上げされるだろう。かたや政治的に格差はダメだと社会全体のパイを縮小させて分配すれば、貧者はさらに貧しくなる。

人間は機械ではない。自由で可能性に満ちた存在である。テクニックだけで政はできないことを知るべきだ。人の本質を尊重し、高貴なるものを認識し、善を探求していく姿勢が今の政治にはない。

人の作り上げてきたテクニックに今日本人は縛られてがんじがらめになっているように見える。その檻の中から出るためには、今一度、人間というものを白紙の目で見つめる必要があるように思う。そのためには宗教は政治屋よりも必要不可欠だ。

 

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