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小沢一郎の宗教観が国を滅ぼす

壊し屋の宗教観

先日、高野山に詣でた民主党小沢一郎幹事長が、キリスト教に対して「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明し物議をかもしているが、これが壊し屋小沢の宗教観ということだろう。

物議とは、「日本キリスト教連合会」が、この小沢氏の発言を「キリスト教に対する一面的理解に基づく偏見であり、それこそ排他的で独善的(小沢氏が)な発言」とし、抗議文を送っていること。

それを受け、小沢氏の回答はこうだ。

 「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」

asahi.com  「成仏するのは仏教だけ」小沢幹事長、改めて文明観披露

http://www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911160351.html

 キリスト教に対しても偏見だが、仏教に対しても大きな偏見があるようだ。

仏教がすべて「死ねば皆、仏様という思想」という考えではない。それは一部の仏教の宗派の考え方である。

 

本当に成仏するのか?

「死ねば皆、仏様」という思想は、「一切衆生悉皆成仏」という考え方で、すべての魂は仏子だから、死ねば仏になるという思想である。これは日本の大乗仏教に見受けられる思想で、救済の観点からはこの考え方で救われる人もいると思う。しかし、仏教には「縁起」という根本的な考え方がある。原因があれば結果がある。善い行いをすれば善い結果があり、悪い行いをすれば悪い結果があり報いがある。これを因果応報という。

難しい教義を大衆に説くのは困難であるため、無学の民を救う面では、「すべての人は成仏する」という方法論もあったのかもしれないが、これには無理(うそ)がある。これでは仏も悪人も一緒になる、いわゆる味噌もくそも同じだからだ。

また、「何をやっても仏様」という思想では、悪人が栄えるばかりであろう。

この死ねば皆仏という一乗思想は、日本では最澄が大きな源流となり「天台本覚思想」として日本に広がった。

当時、新興の宗教者として台頭してきた最澄の、この考え方を否定したのが伝統仏教の南都六宗の徳一。最澄に、「君、それは違うのではないか」と論争を挑んできた。これが「三一権実論争」と呼ばれるものである。

 

人の境涯には段階がある

そもそも仏教の開祖である仏陀は、悟りの段階を説いていた。声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)と大まかに分類し、それぞれの心境、行いで結果が違う。徳一は、この三つの段階をもって最澄の一乗思想に待ったをかけた。声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)の三乗と、最澄の悉皆成仏の一乗との論争なので「三一権実論争」という。

この論争は最澄が死ぬまで繰り広げられたが、後の比叡山の興隆で、日本には一乗思想が広がってしまった。鎌倉仏教の各宗派の開祖なども、比叡山で学んでいたため、日本では、「死ねばみんな仏様」という考え方が定着したのだ。しかし、よくよく考えたら、人の境涯には間違いなく段階があるだろう。みんな仏様という考え方は平等ではあるだろうが、公平ではないからだ。全員が仏性を持った尊い魂というのは皆平等なのだが、悪い行いをしたものまで仏様になっては不公平である。あきらかに不平等なのである。

さらに最澄と同時代に活躍した高野山の空海は、「十住心」を説き十段階である。

 

高野山、仏教界こそ物申すべき

この発言から見ると、小沢氏の宗教観とは、この一乗思想なのである。

これをこともあろうに空海が開いた高野山で披露した。なぜ仏教界は抗議しないのか。特に高野山に対しては、教義の否定とも言うべき発言である。私はキリスト教団体よりも、強い抗議をすべきだと思う。いちじるしい仏教への偏った知識、偏見である。

今の小沢民主党は十住論の「異生羝羊住心」ではないのか。なぜそれを言わない。

 

小沢・民主党に流れる一乗思想x悪平等

このように見ていくと、民主党政権に流れる毒水の正体が見えてくる。

弱者救済のように見えるが、バラマキ政策(悪平等)。

選挙に勝つだけのマニフェスト選挙(何を言っても勝てばいい。票を集めるだけの選挙)。

ゆきすぎた平等観では、教育も腐敗していくだろう。努力が報われないからだ。

がんばった人には増税する。企業もアップアップ。景気は悪化する。

無責任が横行して、憲法もあやふやな解釈論。国防も危うい。

 

今、求められるのは、公平でごまかしがなく、正しい努力を評価する政党・政治家なのではないだろうか。 

政党ってなあに?

既存政党には特典がたーくさん

政治的信条を同じくするもの同志が集まって政治活動をするためにつくった団体を一般的に政党、政治団体という。

集会・結社の自由を憲法がこれを保障し、何者もこれを妨げるものはない。(公務員には若干の制限がある)

これとは別に、公職選挙法、政治資金規正法、政党助成法などで定めた政党の定義がある。

これが、「政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5人以上有するものであるか、近い国政選挙で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区いずれか)を得たもの」を政党として認めるという基準である。

これは決して、小政党、地方政党が法律に従って政党の概念から排除される意味ではない。政党は政党である。しかし、選挙になると、既存政党とその他政治団体、または無所属の候補者との扱いは格段に違ってくる。

 

以下にまとめてみた。

   既存政党  政治団体・無所属
 衆院選での小選挙区の政見放送に出演
 001_09
出演できる
 001_05
できない
小選挙区での投票所での団体名
 001_09
ある
 001_05
ない
 衆院選での比例区の重複立候補
 001_09
できる
 001_05
認められない
 比例区の立候補者数
 1人からでも立てられる
 衆院で定数の10分の2以上
参院では選挙区と含めて10人以上
 企業(法人)からの政治献金
 001_09
受け取れる
 001_05
個人献金のみ受け取れる
 その他助成されるもの  政党交付金の助成、ポスター・ビラ枚数、選挙カーの台数が候補者とは別枠で数が認められる  

 

マスコミは全政治団体を公平に報道すべき

これに右ならえして、本来この定義が当てはめる必要もないマスコミなども政治団体は政党として報道せず、諸派とひとくくりにする。

政治の世界は有権者に等しく門戸がひらかれてしかるべきなのに、まことに新規参入のしにくい世界なのである。

これがどのような影響を及ぼすだろうか。

政治的信条が違うのにもかかわらず、現職の国会議員をもたない新しく誕生した政党や、無党派候補は、ひとくくりに「諸派」と扱われる。さらには、比例区にその政党名で候補者を立てているにもかかわらず、投票所では小選挙区の同じ政治団体の党名は表示されず、候補者名のみの掲示となる。

まことに不公平だ。

マスコミなどは、その規定に従う必要などないはずだ。どうして都合のよいときだけ、そのような規定をもちだすのか。これでは有権者は全党のマニフェストを比較できない。

これが末端で混乱を生んで、選挙をわかりづらくしている要因となる。

さらには、そのような不利な選挙選を強いられるにもかかわらず、新規参入者も供託金は同じだ。

これでは、志があったとしても、どこか既存の政党におさまるしか道がなかなか拓けない。政治を家業とする世襲議員ばかりになるはずだ。そのようなシステムになっているからだ。

ちなみに、日本ほど供託金が高額な国もめずらしい。衆院選の小選挙区で300万だとすると、イギリス約9万円、カナダ約7万円、ニュージーランドで約1.5万円。アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアには供託金はない。

これを見ると、日本では本当の政治が熟成しないことがおわかりだろう。制度に甘んじた既存政党の数合わせゲームに陥ってしまう。それがこのたびの政権交代劇の実態だ。

もっと門戸をひろげ、参入しやすい制度にしなければいけない。そうであってこそ、本当の政策選挙、マニフェストの意味が出てくるのではないだろうか。

 

参考 【09衆院選】幸福実現党が投票所の掲示で要請

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