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今、必要なのは自由を掲げる第三極政党

米経済紙ウォールストリート・ジャーナルが「民主党の鳩山由紀夫党首、変化とポピュリズムを約束」と、このたびの政権交代を批評している。

この場合のポピュリズムとは、「大衆迎合主義」ともとれるので、一言でいうと、「バラマキ日本誕生」というところか。

まあ経済紙から見た民主政権は、これまでのケインズ主義よりの経済とは変わらず特に変化はないという見方だ。ただし、これまでよりぐっとケインズに傾倒するのは間違いのないこと。同紙は皮肉的に書いているのだが、それよりも危惧する状態になるのではないか。

「民主党は自民党と同じく、強力な農政ロビーを保護し、助成金の仕組みをシャッフルし直し、環境の名の下に課税し、自由市場の規律から労働者や中小企業を守ろうとしているからだ」と同紙は指摘する。そう結局どの党になっても同じだった。このたびの選挙戦で、バラマキ政策を否定し減税による景気回復を唱えていたのは幸福実現党一党のみである。

だとすると左傾倒化する世界(オバマも含め)の中で、このたびの選挙戦は健全なる二大政党制というものではなく、単なる自民保守勢力の衰退ではないのか。だとすると、現在世を席巻したリベラル勢力に対抗する自由を掲げた第三の政党が必要なのである。

大川隆法幸福実現党総裁は、なんばでの今回の総選挙最後の遊説で訴えた。

「自由と平等どちらをとるかと問われたら、迷わず自由をとりなさい!」と。

あとはその自由の勢力が世に理解される努力が必要なのだろう。敵は内部にあったということだ。次の自由をかけた戦いまでに、同党がいかに脱皮するのか、それを期待したい。

参考 日本は踊らないと英語メディア、二大政党制を待ったからこそ厳しい目――ニュースな英語

鳩山一郎元総理当時、敵地先制攻撃は当たり前だった

専守防衛では本土が火の海

私の国防に関する考え方は、幸福と同じ。もし、他国が日本に向けてミサイルを発射することが明確になったなら、その敵基地ミサイルを敵地先制攻撃で叩く、という「姿勢」を明確に示すこと。これが国の安全保障、戦争の抑止につながると思っている。

これに対して、今の日本は専守防衛である。

日本が敵国から攻撃を受けた段階で初めて攻撃ができる。これでは本土決戦以外に道はない。日本が戦場になるんです。これが必至ということだ。

ではこの専守防衛という考え方はどこからでてきたか。防衛白書にでてきたのは、1970年中曽根さんが防衛庁長官だった時。

それ以降、左派の圧力に負けて応えたこの言葉が、今の日本の立場を決定づけている。

以前の投稿にも書いたが、仮に北朝鮮がミサイルを発射したとしても、どこに向けて撃ったのか軌道を把握しないかぎり何もできない。集団的自衛権の問題もあるからだ。まさしく、日本国民が何十万人も生命を失わないかぎり反撃ができないのだ。

 

鳩山一郎元総理当時は敵地先制攻撃が当たり前

さて、では、戦後ずっと専守防衛の考え方が主流だったかというとそうではない。これは日本独特の奇異な考え方で、国際的に異常な考え方だからだ。

民主党の鳩山党首の祖父、鳩山一郎元総理はこう言っている。

「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限の措置をとること、たとえば、誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものだと思います。」(1956年2月29日、衆議院内閣委員会、鳩山一郎総理答弁を船田中防衛庁長官が代読)

ようするに、仮に北朝鮮が、ミサイルを日本に発射することが明確になった場合、その敵基地を先取攻撃して日本への着弾を防衛するのは、自衛としてなんら問題がない」ということ。

これが世界の常識だ。韓国も敵地先制攻撃を公言している。

それを日本でいうと、「そんなバカな、戦争をしたいのか」と言われる。ものすごい刷り込みである。ほぼ全員に言われるのですよ? それも嘲笑。

この鳩山一郎元首相の弁を見ると、戦後教育の刷り込みのない状態では、攻撃を名言している敵基地を先に叩くのは、なんらおかしい発想ではないということ。

 

今の民主党のマニフェストを見た時、鳩山一郎元総理はなんと言うだろう。うちの孫は日本を守る気がないとかと、大いに嘆くのではないだろうか。 

Yahoo!が次期政権を見越して尻尾を振っている件

おかしいぞYahoo!

なんだかYahoo!の政治企画がおかしい。

政治ポジションというサービスがそうだが、これは、テストを受けて、対象者が思想的にどの位置にあるのかをグラフで算出するものだが、そもそも基準に違和感を感じる。

http://seiji.yahoo.co.jp/guide/position/

y軸にあたる縦の線は上がリベラル。下が保守。

x軸は左が大きな政府。右が小さな政府。

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そもそも小さな政府のリベラルというものがあるのか。まずそこで疑問符がでた。リベラルって福祉国家を目指してるんですよね?

すると下の方に、このグラフの基準が書かれていた。

■グラフの縦軸はあなたの政治的価値観をあらわします。上にいくほど(スコアが4に近いほど)「リベラル」を好み、下にいくほど(スコアが-4に近いほど)「保守」を好む傾向があることを示します。
リベラル
個人の自由や権利を尊重し、社会や体制の変化を促進していこうとする立場。
保守
共同体の伝統・秩序・習慣を重視し、社会や体制を維持していこうとする立場。
■グラフの横軸はあなたの経済的価値観をあらわします。右にいくほど(スコアが4に近いほど)「小さな政府」を好み、左にいくほど(スコアが-4に近いほど)「大きな政府」を好む傾向があることを示します。
小さな政府 (市場信頼)
規制緩和を推進し、政府が市民生活に与える影響を抑えようという立場。公共事業や福祉の削減による効率的な行政運営を重視する傾向がある。
大きな政府 (政府規制)
規制を強化し、政府が市民生活に積極的に秩序を与えようという立場。政府に権限を集中させ、公共事業や福祉の充実を重視する傾向がある。

 

もうわけわからん、というのが率直な印象。

リベラルとは、そもそも市場至上主義が恐慌を引き起こしたとして、政府の介入拡大を是とする考え方である。放任主義的な市場が、格差を生んで弱者の自由が制限される。だから結果を平等にしようというのがリベラル的な考え方であろう。名前こそ自由主義であるが、ようするに弱者の自由ということである。なので名前こそ似ているが、政府の介入を極力減らして小さな政府を目指す新自由主義とは間逆なのである。

リベラルで小さな政府とは論理的にありえない。口だけだ。スローガンなだけで、実行不可能である。政府は大きくなる。増税政党である。

なのでYahoo!の規定する、

リベラル=個人の自由や権利を尊重し、社会や体制の変化を促進していこうとする立場。

保守=共同体の伝統・秩序・習慣を重視し、社会や体制を維持していこうとする立場。

という定義に悪意が感じられてならない。保守という言葉が、なんか古めかしい風習を押し付けるがごとく印象を与えて、個人の自由がないように思わせるものだからだ。

保守の方が自由なのである。リベラルは政府が介入する社会。いわゆる左派の考え方。

上記の小さな政府の規定にもあるだろう。小さな政府=市場信頼、と。リベラルと共存するとかしないとかの次元の話ではない。もし、これでリベラルだけれども小さな政府で市場を信頼するという人がいたら、ナンセンスではないのか。

また、グラフでリベラルを上、保守を下にするのも見慣れない表現の仕方だ。もうYahoo!は次期政権を見越しておもねるつもりなのだろうか。

電波のオークションでテレビでも始めるつもりなのだろうかな?(´・ω・`)

 

もう一つの政権交代ストーリー

新しい選択

このたびの選挙は政権選択選挙だという。

マスコミの構図では自民vs民主。だが、もうひとつマスコミが言わない政権交代のストーリーがある。

このたびの各党の候補者数を見てみると、自民326名、公明51名、民主330名、共産171名、幸福337名。

これを見ると政権が取れるのは民主党だけではない。実は幸福も全員当選したら政権交代ができるのだ。

しかも、保守から保守へ。民主への政権交代で政局が左に極端に揺れるのではない。景気回復を全面に打ち出した政権が誕生するのだ。

そんな結党したての、素人集団に何ができるとお思いだろう。しかし、今マスコミが煽動している政権交代の相手は、民主党である。文部科学省大臣に日教組出身者がおさまる可能性もあれば、国家主権の移譲もしちゃう。政策もめちゃくちゃだ。日本はきわめて左に振れる。

綻びだらけの保守か、さらに綻びだらけの反保守か。それとも経験はないが、新しい保守本流政党か。国民の前には、もう一つの新しい選択があるのである。

まあ、全員当選というのは極論だが、もし自公の体たらくに制裁のつもりで投票する票があるならば、保守的立場を維持しながら、もうひとつ選択肢があるということだ。

そうすれば、日本という国は、健全に保守体制を維持しながら、景気対策、国防を議論、対策できる。

財政に関しては、財政危機ってどこが?で述べた通りである。今つぶれそうなのは政府であり、国民ではない。国民は政府の誤った経済政策で消費が滞って景気が停滞しているだけだ。ぽっと出の政党でも、景気さえよくしてくれるならばなんとかなる。

マスコミのみの情報で空気で二者択一の選択をするのか、自分の目で見て、考え、日本の将来のために新しい選択肢を考慮するのか。

今、真摯にその選択をしなければならない。未来がかかっている。

社会主義国の核と非核三原則

ソ連も絶句した中国の核開発

中国の核開発は、ソ連をも絶句させたという。

フルシチョフは米ソ冷戦の際限のない核開発競争の中で「このままでは人類絶滅」と見て核の拡散を恐れ西側との共存の道を模索した。

そのフルシチョフに、「社会主義国の核兵器は正義の兵器」「社会主義国の核兵器は多ければ多いほどよい」と言ったのは毛沢東

この中国の核開発の執念ともいうべき国家戦略は、中ソの関係を悪化させてまで、断行するほどのものだった。事実、核開発を断行する中国に対してソ連は「ソ連の傘におとなしく入っていればよいではないか」との要求をしたが、断固として中国はそれを中国の主権を脅かすものとして拒否した。

中国は、ソ連との同盟を反故にしても、社会主義陣営を離脱、自国の安全保障を危機にさらしても、核開発を断行したのである。

 

「両弾一星」というスローガンがあるという。

 

両弾とは、原爆、水爆。一星というのは人工衛星。人工衛星とは、弾道ミサイルを発射するロケットを意味する。

 

中国の姿勢は一貫している。軍拡であり、領土拡張。いや、中国側からみたら失地回復であろうか。

中国が一番輝いていた時代。清王朝が影響を及ぼしていた領土。中華帝国の復興である。

そんなことをしたら、国際社会が黙ってはいないだろう。中国は孤立して国家の存亡にかかわるのではないか? との意見もあるだろうが、前述したとおり、中国は当時のソ連と対立してまで、核を保有し、自国の目的を達成しようとしている。

毛沢東は「中国は人口が六億人(当時)いるから、仮に原水爆で半数が死んでも、三億人が生き残る。何年かたてばまた六億人になり、もっと多くなるだろう」とフルシチョフに語ったそうだ。社会主義国にとっての戦争とはこのようなものだ。全体は個に優先する。その目的が国民の安全ではないからだ。目的は、中華帝国の復活である。

 

国際情勢をなぜか伝えない政治家とマスコミ

その国際情勢をふまえると、民主の主張には驚かされる

鳩山党首が、フジテレビの「新報道2001」などの番組で、繰り返し、「非核三原則について、政権獲得後にオバマ米大統領と会談し、核を日本国内に持ち込ませないよう説得する」考えを表明していること。「普天間飛行場の県外、国外への移設」を提案していること。

今、脅威なのは、「社会主義国の核」なのである。個より全体が優先するイデオロギーの国家が握っている核のボタンである。このような発言、行使は、自ら戦争を呼び込んでいるのではないのか。

頼りの国連も米軍も、いざという時に本当に助けてくれるのか。この国は、集団的自衛権 あいまいな民主でも書いたが、集団的自衛権も、あいまいできわめて片務性の高い条約にしてしまい、味方がほとんどいない国だ。

政治家のみなさんの現状認識に疑問を感じる。素人の私ですら、今の状況には危機感を感じている。プロであるはずの政治家、さらには一党の党首やマスコミが、このような認識でよいのか。とても不安に感じる。

 

財政危機ってどこが?

粗債務と純債務

自民、民主が財政危機を訴える根拠は、政府に多額の粗債務があるからだ。

900兆も国債を抱え、未来に暗い影を落としての増税論、または消費税増税引き伸ばし論なのだが、この粗債務とはいったい何なのだろうか。

この粗債務とは、純粋に国の借金の金額を言う。これを基準にして、政府は増税を訴えるが、この借金とは別に、日本には国が保有している金融資産がある。その額約600兆。

これを政府もマスコミも自民も民主も言わない。

その粗債務900兆から、金融資産600兆を引いた、約300兆が純債務という。本来これを基準とすべきであるのだが、政府もマスコミもそれを言わない。

純債務から見た日本の財政は、まことに健全であり、不安をあおる理由などない。コロンビア大学のワインシュタイン教授などは「日本の財政は純債務で見るべきであり、純債務からみた日本の財政は危機とはいえない。また、財政規模も小さすぎる」と述べているという。

また、その内訳の国債を保有しているのも、95%が日本国民であり、国債といっても建設国債でつくったもの。道路、空港など必要なもので国民の財産である。

さらには、国民が持っている総資産は1400兆から1500兆円。この国はつぶれない。消費を拡大すればいいだけだ。日本人が日本のためにお金を使うことだ。

今、つぶれそうなのは政府なのである。

 

不安をあおり、増税したがる政治家とマスコミ

この、粗債務を基準にして、財政改革をするものだから、政府はちょっとした財政不安で、すぐに増税をしようとする。これで大きく失敗したのが、橋本財政改革と、小泉構造改革だ。

少し景気がよくなると、政府はなぜかわからないが、粗債務からの財政不安を持ち出してすぐ増税しようとする。そうすると消費が低迷してGDPが停滞する。その停滞したGDPと粗債務を比較して、財政危機をますます訴えてくる。これでは、戦前の緊縮財政が引きおこした昭和恐慌と同じプロセスではないか。このような景気の先行きの不明感が、戦前を全体主義へと大衆を扇動していったのではないのか。

これを見ると、消費税などの増税はもってのほか、減税、もしくはゼロにしてもなんら問題はない。それどころか、消費税減税による消費の拡大で、税収はさらに増え、日本は超優良国になるだろう。

政府や、民主党、マスコミなどが、何のつもりで財政危機を訴えているのかわからないが、嘘で国民を刷り込むのはよくない。いや、たとえ本当の財政危機であったとしても、安易に税金を上げるというだけでは、プロの政治家として芸がなさすぎやしないか。はっきり言って思考停止である。

 

選挙集票型バラマキも危険

ただし、だからといって安易なバラマキ型の財政出動でいいのだろうか。

今、各党が主張しているのは「選挙集票型バラマキ政策」である。

票を集めるためだけのバラマキで、戸別所得保障の対象の農家でさえダメになるといっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090822-00000553-san-pol

これでは、民主主義の宿命、財政赤字を増大させる典型的なパターンであり、産業自体がダメになる。

今必要なのは、消費喚起に有効な減税政策だ。各党、その道を模索するべきではないだろうか。

 

 

中道を模索する

中道とは険しい道

中道という言葉がある。

仏教用語だが、政治的立場にも使う。

以前、仏教学者であるひろさちや氏が、「中道とはいいかげんなこと」と説明したが、とんでもない。

ひろさちや氏は、中道ということを言葉じりのみを受けて、ほどほどという認識にしか取れず、結論的に「いいかげん」なことと導きだしたようだ。

ほどほどのいいいげんな立場を、釈迦が弟子たちに厳しい道として修行させたと思うのか。そんなのは怠け者の詭弁で、精神的格闘はない。

釈迦が説いた中道という精神を会得するのに、数々の名だたる僧侶たちが、厳しい修行をしてきたのだ。そんな簡単な、安易な道であるはずがなかろう。

現代の進歩的だと称する人々は、このような安易な考えで、歴史を簡単に軽んずる。

 

本来、中道とは、「極端を廃する」という精神的立場を意味する。

人はさまざまな情報や、立場の中で、自らの立場を決める。さまざまな分野、いろんな主張があるので、どれが正しいのか見極めるのは困難だろう。その中で、一つひとつ丁寧に極端を廃していき、剣が峰のような中道の立場を選択して進んでいくことを、本来「中道」というのだ。

ゆえに、中道とは「正しき道」という意味である。

政治的立場もそうだろう。

多くの大衆の意見が形成され政党ができあがり、その主張は千差万別である。

その中で、各自、極端を見極め、排除していかなければならない。やはりその立場は剣が峰。賢明な判断が必要だ。

仏道修行ではないが、それなりの努力が必要で、ある日突然よい政治が空から降ってくるものではない。この国は民主主義だからだ。

その民主主義の主役である大衆が、知的立場を峻別する作業を怠けていては、空から降ってくるのは衆愚政治である。

江戸時代にも、何度も大衆が衆愚化して、体制が危機に陥ったことが多々あった。飢饉などの時がそうだ。そんな時に活躍したのがお寺などの機能である。

僧侶は、大衆を知的に訓練した。それは反体制でもなく、体制側からの洗脳でもない。教養を深めることで、今、個人と全体にとって、どういった立場が正しいのか、その中道を見極めよと指導した。ある一定の偏った知識ではなく、教養を身につけた衆生が、時の崩壊を防いだ。その延長線上に現代の平和がある。

例を出した江戸時代にも、そうした教師への尊崇の念があった。だから、道が拓けたのだ。今はどうだろう。江戸時代以下ではないか。

民主主義を担保するものは、軽薄なマスコミ型知識ではなく、大衆の教養である。

形而下のみの事象をもって民主主義はなりたたない。形而上の精神があってはじめて民主主義は議論すべきではないのか。

形而上を無視してしまったから、ばら撒きしかでてこない。プラトンが危惧した衆愚だ。

この国に保守と言われるものは、もう残り少ない。

この新しい選択は、その峻別の選挙だと私は思う。

努力が報われない社会

 

好きで不景気やってる日本

日本は、一時期米国を抜いて世界一の経済大国になる道もあった。

それを自らつぶして、身を引いて漂流しているように私の目にはうつる。

潜在意識化で、「え? なんだこのままだと世界の牽引せなあかんやん。むりむりむり」と。とりあえず不景気でもやっといて、このままでいよーー的な。

なぜ無理なのかというと、軍隊もなければ、精神的主柱の骨もないくらげのような国だから。世界の安全保障を守れない。米国の次を担うことができなかった。

しかし、歴史を見れば明らかに、日本は骨のある国だったのではないのか。人材的にもそうとうな偉人を輩出しているし、坂の上の雲を登っていた。立地的にも西から来た文明と、東から来た文明の終着地点にある。

神仏習合的な多神教国家で、外の宗教を受け入れる土壌もある。ローマのような国になる可能性があった。

そんな骨のない民主主義の中で数十年時がたち、オルテガじゃないが、典型的な子供じみた光景になってしまった。先生がいなくなったら子供たちは躍り上がり教室の秩序がなくなった。フランス革命のようなものだ。圧制を倒したはいいが、その後に来たのはアナーキー。フランス革命は80数年の混乱を生んで全体主義の基となってしまった。

 

努力したものが報われる社会の危機

私には、このたびの政権交代劇がそんな風にうつる。

フランス革命が掲げた自由と平等と博愛は、聞こえはいいが、大衆に迎合しすぎて、その根底に富裕者への嫉妬があるとすりかわってしまう。

「なんだ、お金持ちはけしからん、平等に貧困層にも生活の保障をせねばならん。結果を平等にしろ」と。

それに拍車をかけているのがマスコミだ。偏向報道もはなはだしい。

世の中がさらに不景気になって、広告収入が減って困るのは、マスコミも同じだろう。なぜ自ら首をしめるのか。

いや、不景気になると、企業は広告に頼るしかないのか。それでも広告費は減収するはずだ。

本来、自由とは智恵。平等とは慈悲の精神。各人が努力、工夫する智恵は自由で、それで伸びていった人が社会に慈悲として還元する。というのが筋ではないのか。

あくまでも機会の平等であって、結果の平等ではない。

努力したものが報われる社会。今、それが危機に面している。

 

 

福祉国家 vs 夜警国家

夜警国家は小さな政府で税金が少ない

夜警国家とは、社会主義学者ラサールが命名した言葉であるので、少々おどろおどろしいが、ようするに小さい政府ということである。

ラサールはマルクスととっても仲良しの社会主義者であったために、このような自由主義的国家感を揶揄するような形で名づけた。

それと対比されるのが、福祉国家。これがいいよーーとラサールは主張した。

聞こえはいいが、大きな政府ということである。

政府が大きければ、なんか安心なような気がするが、いろいろしてくれそうで。でも、大きいとお金がかかるということ。政府のお金ってなんだろう。それって税金ですよね?

ということで、福祉国家は、ばら撒き型の増税国家である。まあ努力して稼いだものを、税金として納めて、平等に分配する。結果平等。社会主義ってことすね。

夜警国家を批判する人は、よく警察国家ともいう。国家権力の監視が強化され、人々の自由がなくなる社会ではないのかと。

いや、まてよ、それって自由主義国家ではなくって、よくある社会主義国の場景ですよね?

いかんいかん、だまされるところだった。

警察権力が増大するのは、社会主義、ようするにばら撒き型の福祉国家であり、自由主義的な夜警国家ではないということ。

 

福祉国家は大きな政府で税金がかかる

福祉国家は大きな政府。多額の税金をあつめて大衆を切りそろえようという政策。自由は大きく制限される。

切りそろえるとどうなるか?

いま、学校がそのミニモデルとなっている。ゆとり教育で、結果平等主義が蔓延した結果、突出した人を認めない風潮が広がった。それがいじめの原因となっていると指摘する声もある。

「違い」を認めない社会こそ「警察国家」「密告社会」。「あいつちょっとちゃうことしてるでーーー」的な。

対する自由主義国家、夜警国家は、最低限の税金で、安全保障、治安維持に特化して政府が尽力するということ。別に軍事費を大幅に増大されるとか、警察官を倍に増やすという意味ではない。

主権国家として、当たり前に国民の財産と生命を守る行為。これは必須である。

また、経済、福祉、マスメディアなど権力が分散しているので、特にどこに気を使う必要もない。各方面自由に競争原理が進めば、次の段階では警察も民間に任せる時代も来るかもしれない。

 

税金を取って国民を守らない国

福祉ばかりをうたってるのに、公務員の削減をうたっているマニフェストには嘘がある。

ばら撒くためには税金が必要で、大きな政府が必要だろう。

さらに国防はなおざりで、政府が肥大化したらどうなるか。国家としては破綻である。

「小さな政府で国防はしっかりする」という夜警国家の間逆、「大きな政府のくせに国民の安全を守れない」福祉国家になってしまう。

丸腰の働きアリ。

世界からはそう見えるだろう。

そんな国にするつもりなのか。

 

 

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